サイトトップ>>雑誌>>司法官僚―裁判所の権力者たち (岩波新書)
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新藤 宗幸 人気ランキング : 1069位 定価 : ¥ 819 販売元 :岩波書店 発売日 : 2009-08 発送可能時期 : 在庫あり。 |
最高裁判所事務総局による上命下服の実態と、裁判所情報公開法成立への提言 約3500人の全国職業裁判官人事機能を果たす最高裁事務総局を中心とし、その役割、組織運営、構成員のキャリア、弊害を解説した書。
判事がヒラメとならざるを得ない実態は既知だったが、その本丸である司法行政機構についての本は初見であり、行政指導のように事務総局側の「従わせるための利益の供与と制裁」を支える、裁判官合同・協議会による『執務資料』を用いた裁判統制、最高裁判決に相当の影響力を持ち、エリート裁判官の経歴の一つである調査官、仮面を被るように国側代理人の訟務検事や刑事訴訟の検事にと顔を変える裁判官、本人にも開示しない人事評価、明確なルールが明らかにされていない転所・昇任・裏金にされている蓋然性の高い昇給等多岐に亘って主権在民を形骸化し、国の番犬たる捜査機関等を守る意味もあって、裁判官をヒラメ化させるべく幾重にも張り巡らされているシステムについて詳しく学んだ。
憲法76条3項及び『裁判所法逐条解説』との乖離や、集権的な人事政策による害を政治は問い、裁判員制度のような誤魔化しではなく、裁判所情報公開法の制定のような根本に手をつけねばならないが、そんな政党は未だない。
高度職業人報酬に細かな段階制度を設ける必要性は低く、裁判官の自立を担保する為の増員、サバティカル(研究休暇)を含む研究・研修の充実、事務総長・各局局長等枢要ポストの職業裁判官専有ではなく、プロパー職員の登用、法的に開示請求権を市民が持たず、開示に伴う苦情申立もできず、裁判所側も法的開示義務がないような欠陥だらけの『司法行政文書開示要綱』に代わり、裁判所情報公開法を制定する事から司法は開かれるとの提言にも頷いた。
裁判官制度もはじまり、ようやく裁判が身近に感じられている今、最終章に見られるような司法改革を提言しているこの著書の意味合いは大きい。聞き慣れない表題であるが、読み進むうちにこの表題がもっともしっくり来ることがわかる。
我々は裁判官というと、法の番人であり一人一人が独立した考え方の持ち主であるとおぼろげながらも感じている。
ところが、ここにあるのは最高裁事務総局という裁判官の人事すべてを取り仕切る組織のもと、10年ごとの任用という強力な手段を用いてその考え方まで支配しているピラミッド型組織であり、行政組織の官僚機構とうり二つの組織である。
裁判官の人事考課表や評価の事例なども網羅され著者の取材力には感服させられる。
裁判官制度もはじまり、ようやく裁判が身近に感じられている今、最終章に見られるような司法改革を提言しているこの著書の意味合いは大きい。
有益な情報がコンパクトにまとめられているが,御説には余り共感しない裁判官の人事に代表されるいわゆる司法行政について情報を得ようとするとなかなか難しいが,この本は既存の研究を相当広範にフォローした上でコンパクトにまとめており,有益な情報が至るところに詰まっている。この点は高く評価できる。
ただ,裁判官を統制から解放し,市民のための社会改革の道具として積極的に使いましょうという論調には完全には共感できない。どの裁判官にあたっても同じように裁判を受けられるというのは,私達にとって重要な価値ではなかろうか,と思うからである。どの裁判官が出てくるかで結論が全く違ってくるという世界は果たして良い世界なのだろうか。フォーラムショッピングの嵐が吹き荒れないだろうか。文句があるならば,最高裁まで争え,といって済むのだろうか。
また,著者が念頭においている積極的な裁判所観では,法と政治の役割分担が曖昧になるのではないか,という危惧も持った。著者からは,最後は憲法の適用の問題になるから,裁判所の役割を逸脱しているわけではない,という反論が待っているようにも思うが,憲法は,曖昧な原理しか書いていないわけで,それに依拠して,社会改革めいたことをされてしまうと,裁判所による政治と紙一重ではないか,と思ってしまうのである。現在の裁判所の状態がベストだといっているわけではないが,著者の議論にはちょっと乗れない。
チェック機関をチェックできないもどかしさ司法試験を経て、裁判官になること自体が超エリートであるような気もするが、任官10年までに、高裁長官、最高裁裁判官になる「エリート中のエリート」は既に決まっている。一人一人の経歴を明らかにして、スーパーエリートの階段を分析したのが本書。裁判官は最初の10年で最高裁事務総局に入れるか、にすべてかかっている。その数は約100人の同期任官中、数人。実はスーパーエリートたちの多くは、そのキャリアで余り裁判をしないし、所長、長官になるまで東京以外にほとんど出ない。その中でも、ライン局ではなく、人事や経理など司法行政の経験が司法トップへの近道なのだという。最高裁創設時以来60年、任官からトップへの道は笑っちゃう位変化がない。極めて硬直したシステムだ。
最高裁は異常に情報を出したがらない組織で、HPにも各局が何の仕事をしているのか何の説明もない。しかし、著者は数十年前の資料にもあたり、人事、判決案提示などで事務総局の権力がいかに絶大か示し、事務総局が日本の司法をノーチェックで全国津々浦々まで支配している現状を目の当たりにする。裁判所への情報公開請求が却下されても、その異議を認めるか判断するのも「裁判所」なんだから話にならない。
司法行政トップを職業裁判官が牛耳ることで、本来は別ライン採用である事務官で作られるべき司法行政による司法のチェックが効かない。逆に行政ばっかりやってきた人が司法のトップになることで、裁判経験も乏しく前例踏襲という習性のある「行政官」が司法の方向を決めてしまう。だから日本の司法は重度の秘密主義、前例踏襲的な判決が繰り返される。著者は最後に、裁判所の情報公開制度整備と事務総局から裁判官を排除する人事改革を提言している。賛成、と言いたいところだが、個人的には面倒なことに一切関わりたくないという役人根性溢れる裁判所事務官を多く見てきたので、うーむ……
本年5月21日から裁判員制度がスタートしたけれど、裁判の当事者でもない限り、私たち市民から司法(裁判所)の中は基本的に見えにくい。それでも、世間の耳目を集めているような裁判については、マスコミなどを通じて公判内容等を窺うことができるが、本書の考察の対象となっている司法行政機構(司法官僚制)などの実情に関しては、全くと言っていいほど世に知られていないだろう。とりわけ、「司法制度改革」の議論においても、裁判部門はともかく、司法行政部門の改革は、ほとんど手付かずの状態にある、と思われる。
こうした状況も踏まえ、著者の新藤宗幸・千葉大学教授は、「日本の司法行政機構の頂点に位置している」(p.77)最高裁判所事務総局などの権力構造にメスを入れ、「司法行政官(司法官僚)」たちの実態等に迫る。そして、最高裁をはじめとする各級裁判所における「裁判官会議」の形骸化や、判事補・裁判官の任用と再任用、転所(転勤)、昇任、報酬(昇給)、人事評価等に関する透明性の欠如、情報公開の不徹底、さらに“判検癒着”の温床とされる「判検交流」の弊害など、司法行政上の問題点を広範囲にわたって指摘する。
1947年の最高裁判所発足以来、「日本の司法は最高裁判所の内部に、強大な権限を実質にもつ司法行政機構=最高裁事務総局を整備してきた。そして、一般の職業裁判官とは別に、一部のエリート職業裁判官を選別し司法行政にあたらせてきた」(p.17)。その司法行政部門が、裁判官の「独立と自治」及び各級裁判所の「分権と自治」を侵し、「官僚制的な『統制』」(同)を加えているとしたら、本末転倒も甚だしい、と言わざるを得ない。当書の中で、著者は価値ある提言も行っており、「司法改革」に一石を投じる書物であろう。